Se va el caimán

 むかしむかし、マグダレナ川のほとりのプラトという町にサウル・モンテネグロという若い漁師が住んでいました。彼はとてもエッチな人で、毎日毎日川で裸になって水浴びをする女の子をのぞいていました。
 のぞき趣味が高じたサウルは、あるとき、グアヒーラ半島までいって*1、先住民の魔法使いに、灌木の陰からのぞいている姿が女の子に見つからないように、自分をカイマンに変える薬をお願いしました。魔法使いは彼の願いを聞いて、二つの瓶を用意しました。赤い瓶の中はカイマンになる薬、白い瓶は人間に戻る薬です。
 その後サウルは、この秘密を悪友に打ち明けて、彼をともなっては川に行き(ワニのままでは人間に戻ろうとしても瓶あけられませんから)、この薬を使ってワニになってのぞきを楽しんでいたのですが、あるとき別の友だちとのぞきにいったとき、うっかりその友だちに秘密を話すのを忘れてしまいました。その友だちは、カイマンに変わったサウルをみて恐れおののき、近くにあった白い瓶を川に落としてしまいました。サウルはあわてて中の薬を体にかけたのですが、量が足りず、頭だけしか人間に戻ることができませんでした。以後、半人半ワニとなったサウルは地元で恐怖の存在となり、女の子たちは2度と川で水浴びをしませんでした。
 半人半ワニになったサウルに接してくれたのは彼の母だけでした。母はサウルを慰め、毎晩彼の好物のチーズとユカ、さらにラムに漬けたパンを彼の元に運んだのでした。だが、そんな母も亡くなり、誰も地元でつきあってくれる人がいなくなったサウルは、川を下って、バランキージャまで行くことにしました。しかしそこでも人は彼を怖がりました。サウルはしかたなくバランキージャの港を後にして、故郷に戻ろうとしました。その後彼の行方は分かっていません。
 噂によると、その後サウルはこのマグダレナ川のほとりのどこかで、ある女の子に恋をしました。その女の子もやがてサウルのことを好きになり、2人の間にはワニの尻尾の生えた可愛い女の子が生まれたそうです。

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 プラトの町では、いまでも毎年12月17日から20日の間、カイマン男を偲ぶ(?)お祭り“Festival Folclórico de la Leyenda del Hombre Caimán”が開かれています。

Se va el caimán, se va el caimán,    カイマンがいくよ カイマンがいくよ
se va para Barranquilla       バランキージャに向けていくよ


Voy a empezar mi relato,     喜びと熱意をもって
con alegría y con afán      ぼくの話を始めるよ
que en la población de Plato   プラトの町で
se volvió un hombre caimán    ある男がカイマンになってしまったんだ


Lo que come este caimán    そのカイマンが食べるのは
es digno de admiración    賞賛すべきものなんだ
come queso y come pan    チーズを食べて パンを食べて
y toma trago de ron    ラムをひと飲み


Una vieja se sentó     おばあちゃんが
encima de una sepultura   墓の上に座ったら
el muerto sacó la mano    死人が手をひいて
y le preguntó la hora    今何時って尋ねた


La camisa es la camisa    シャツはシャツ
el cuello siempre es el cuello   襟はいつも襟
la corbata es la corbata    ネクタイはネクタイ
y aquello siempre es aquello   あれはいつもあれ

 ある読者から「ワニの歌が続いているけど辰年とかけているのか」と質問されました。そういうわけではないのですが、またワニの曲になってしまいました。
 この地方に伝わる昔話に題材を得たものですが、今はプラトに住んでいた男がバランキージャの女に恋をして、ワニになってその女性に会いに(食べに?)行くという受け止められ方をしているようです。2006年に98歳で亡くなったバランキージャの作曲家ホセ・マリア・ペニャランダによる1941年の作品ですが*2、ラテン・アメリカで広く演奏されているので、歌詞にもいろいろなバージョンがあります(Youtubeで検索すると思い切りゲイ差別をした下品なバージョンがヒットします。)。上で紹介したのはビジョス・カラカス・ボーイズです。
 興味深いことに、この曲が初めて公衆の前で演奏されたのは1945年のブエノス・アイレスでした。サバネーロ(コロンビア大西洋岸地方のうちコルドバ県、スクレ県を中心とする地域に住む人たち)による、サバネーロのためのローカル音楽だったポロがポピュラー音楽へと刷新される時期に発表されたこの曲は*3、アルゼンティンでは大いにうけました。そのため、往年のバランキージャ出身のコロンビア人名ゴールキーパー・エフライン・サンチェスがブエノス・アイレスのクラブCAサン・ロレンソに入団した際に、アルゼンティン人は彼に“エル・カイマン”というあだ名をつけました*4
 これはメキシコの楽団。

 バランキージャのサルサ楽団・グルーポ・ライーセスの演奏です。

 
 ウーゴ・ブランコのバージョンですが、Youtubeに、スペインに住む人(コロンビア人かも)が、フランコ政権時代のスペインでは、この曲は禁止されていたので、摘発を恐れて隠れて踊っていたものだ、と書き込んでいます。他愛のない歌に思えますが、独裁者の気に障るなにかがあったのでしょうか。

(追記)確かにフランコ政権時代には禁止されていたようです。理由は政治的なものというよりは内容がエッチだということのようです。*5

*1:バジェナートのゆかりの土地ですが、コロンビアでは先住民が住む辺境というイメージがあります。

*2:ただしあの“El año viejo”の作曲者であるクレセンシオ・サルセドも自分の作であると主張しているそうです。José Portaccio Fontalvo“Colombia y su Música”Disformas Triviño LTDA.1995.

*3:ただし、これに“クンビア”という名前がついたのは、以前に書いたとおりです。http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110702/1309570937 http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110703/1309652982

*4:http://es.wikipedia.org/wiki/Efra%C3%ADn_S%C3%A1nchez

*5:“Canción 'Se va el caimán' estuvo entre los temas censurados en España durante el franquismo”http://www.eltiempo.com/archivo/documento/CMS-4119714 この歌の歌詞はいくつかありますが、当時スペインに入ってきたのはパラグアイ人音楽家であるルイス・アルベルト・デル・パラナのこれ→ http://www.goear.com/listen.php?v=5b746a6。その他、検閲をパスしなかった他のコロンビア人作曲家の作品としては“Bésame, morenita”がありますが、これは“"Que me está pidiendo que chupe, que chupe que es más sabroso, que beso y mordisco me saben a poco, que bésame morenita”(彼女はぼくにチューして、もっとサブローソにチューしてっておねだりするから、ぼくは彼女にキスして少し噛んだ ぼくにキスしてモレニータ)という部分が独裁者の気に障ったそうです(今なら“chupe”はフェラチオかクンニリングスと訳すべきでしょうけど。)“キス”に関しては、ほかにも“Bésame mucho”や“Mil besos”など「キス」の出てくる歌は軒並み発禁になったとのことです。その他“Sabrá Dios”は神様が知っているだろうか、と疑問を投げかけるところがアウトになったとか。原理主義的カトリシズムとイスパニダーの裏返しとしての外国嫌い、ラテンアメリカ蔑視の結果とみるべきでしょうか。ラテン音楽からキスを追放するとは、いやはやすごい時代だったんですね。