El Testamento(遺言)

 今年はエスカローナもボベアも亡くなった。

Oye morenita te vas a quedar muy sola  モレニータ、キミはひとりぽっちになっちゃうよ
porque anoche dijo el radio  昨夜ラジオでいっていたよ
que abrieron el Liceo  リセオがはじまったんだって
Como es estudiante  そこに進学するために
ya se va Escalona  エスカローナがいっちゃったんだ
pero de recuerdo te dejó un paseo  でも思い出としてキミのためにパセオを残していったよ


Que te habla..."de aquel inmenso amor"  それはキミにむけたこんな歌なんだ
Que llevo... "dentro del corazón"  “キミへの限りない愛を、心にひめてボクはいく
y dice..."todo lo que yo siento"  ボクが感じていること
que es pura..."pasión y sentimiento"  それは純粋な情熱とセンティミエント
grabado con el lenguaje grato  ペドロ・カストロ*1の土地の
que tiene la tierra ´e Pedro Castro  心地よいしらべにのせて”


Adiós morenita me voy por la madrugada  さよならモレニータ 夜明けとともに旅立つ
no quiero que me llores   ボクはキミに泣いて欲しくない
porque me da dolor   だってボクまで悲しくなっちゃうから
paso por valencia  バレンシアから
cojo la sabana  草原をぬけて
Caracolicito y llego a Fundación  カラコルシートからフンダシオンへ
Y entonces..."me tengo que meter"  それから、のらなきゃならない
en un diablo..."al que le llaman tren"  電車とかいうすごいヤツにね
ay, que sale..."por toda la zona pasa"  いろんな土地をとおって
y de tarde... "se mete a Santa Marta",  午後にはサンタマルタにつく


Ese orgullo que tú tienes no es muy bueno  キミはつんとすましているけど それは良くない
te juro que que más tarde te vas a arrepentir,  ボクにはわかるよ キミはきっと後悔するってね
yo sólo he querido dejarte un recuerdo  ボクがキミに思い出を残していきたいだけなんだ
porque en Santa Marta me puedo morir.  だってボクはサンタマルタで死んじゃうかもしれないんだから
Y entonces... "me tienes que llorar"  そしてキミはボクをおもって泣くだろう
y de ñapa..."te tienes que poner"  おまけに 
traje negro... "aunque no gustes de él"  キミは喪服をきることになるんだよ それがどんなにきらいでも
y entonces te vas a arrepentir  そう、キミはきっと後悔するんだ
de lo mucho que me hiciste sufrir.  ボクをこんなに苦しめたことを

 歌にでてくるリセオは、サンタマルタにあるリセオ・セレドンのこと。バジェドゥパルからサンタマルタにあるリセオ・セレドン*2に進学するラファエル・エスカローナが当時の(おおぜいいた)恋人(のうちのひとり)ヘノベバ・マンハレスにささげた別れの曲。浮気をしていたうえに、自分で勝手に進学するくせに「ボクをこんなに苦しめて」だの「ボクは死んじゃう」だの勝手な気もするが・・・とりあえず、文字の読める人すらほとんどいなかった同世代のバジェナートのミュージシャンのなかで、高校(中等教育後期課程)まで進学したエスカローナは異色の存在だった。バジェドゥパルからサンタマルタなら隣の県(当時ならおなじ県)だからたいした距離ではないけれど、本人は決死の覚悟だったみたい。1948年の作品。


 “遺言”なんて歌まで歌って旅立ったエスカローナだが、その高校では金にこまって飢えに苦しみ、結局1年もたたないうちに退学してバジェドゥパルに帰っている*3。そのときの様子は“El Hambre del Liceo”(腹ペコ学園)という歌になっている。



 この歌は、1992年のテレノベラ“Escalona”の主題歌だったこともあり、歌詞の内容とあいまって、エスカローナの追悼の場面ではよく流れていた。

 Carlos Vives “Testamento” 
                        




 バランキージャの街角で歌う地元のおじさんたち。




 地元の子どもの歌。すごい貧乏だが、コロンビアにはこういう子どもはおおぜいいる。
                            



  それでは警察署に行ってきます。

*1:郵便通信大臣・マグダレナ・グランデ県〜現在のマグダレナ県とセサル県をあわせた地域〜の知事もつとめたこの地域の有力者。恋人・愛人、親類縁者、スポンサーの名前を歌に入れるのは田舎音楽としてのバジェナートの特徴のひとつ。ちなみに、ペドロ・カストロ自身はバジェナートが好きではなかったという。

*2:当時バジェドゥパルにあったロペレナ中等学校は中等教育課程の前半部分〜日本でいうと中学校〜までしかなかったので、後期課程(日本の高校)にいくには、サンタマルタかバランキージャにいくしかなかった。

*3:なお、ガブリエル・ガルシア・マルケスの自叙伝“Vivir para contarla”(今年翻訳がでるらしい)には、エスカローナはバチジェラート中等教育の6年間の課程を修了すると得られる中等教育修了証。同時にそれは大学への入学資格ともなる。)を修了したと書いてあるが、たぶんガボの記憶ちがいだと思う。