月刊ラティーナ7月号<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート(その3)

 最後にアンドレス“エル・トゥルコ”ヒルのインタビュー記事分です。渡コロ前はラジオのインタビューで話しているのを聞いて「うわー このコスタ弁のおじさんにインタビューか・・・」と思ったのですが(私はコロンビア人と日常的に接していますが、コスタの人とはあまり話す機会がありません。)、ちょっといるとすぐに慣れますね。1時間ぐらいお話しを伺ったのですが、思う存分バジェナートの話しができて、ほんとうに楽しかったです。固有名詞が多いので、この記事が読者にとってもっとも「わけわからん」ところだと思います。でもですね、はっきり言って日本で紹介される「最近話題のコロンビア人ミュージシャン」より、現地でははるかに有名な人たちですし、字数に制限があるのでいちいち解説書けないんですよ。なお雑誌に載せることができたのは実際のインタビューの3分の1もありませんので、雑誌の販売が一段落したら、このブログで一部載せるかも知れません。
★ ロス・ニーニョス・バジェナートス。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20120108/1326003161
★ ベト・ムルガス。彼の息子はポップス調のバジェナートで人気のグッシー&ベトのベトです。

 なにか年寄りの地味な音楽を紹介しているように思われそうなので、インタビューとは外れますが、ラテン・グラミーにもノミネートされた息子のコンビです。息子はアコーディオン・コンテスト・プロ部門に参加していました。これもバジェナートですがイケメンがカチャーコ弁(ボゴタの人の話し方。歌手はベネズエラ生まれボゴタ育ちです)で歌うだけで、雰囲気がまったくちがうのがおわかりいただけるでしょうか。いずれにせよ女の子にもてていいですね。

★ イスラエル・ロメーロ。言わずと知れたビノミオ・デ・オロのアコーディオン奏者です。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100410/1270864110
★ エヒディオ・クアドゥラード。言わないと知れないかも知れませんがカルロス・ビベスのアコーディオン奏者です。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110506/1304697433
★ ホルヘ・セレドン。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20091107/1257547889
★ レアンドロ・ディアス。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110902/1314974365
★ トーニョ・サラスとレアンドロ・ディアス、曲は「マティルデ・リナ」(“Matilde Lina”)。途中で踊ってる人はエミリアーノ・スレータですね。

★ エル・トゥルコ・ヒル「でもその頃のアコーディオンは今のものとはまるで違った。(1オクターブ)12音のうち7つしか音が出せなかったんだから。」 山口「え? とすると私たちが耳にしているバジェナートのクラシックも当時は今とは違っていたのですか?」 ヒル「まったく違っていたよ。“ゴタ・フリア”なんて、作曲したエミリアーノ自身、あるべきメロディで演奏できなかったんだから」・・・たしかにだいぶ違いますね・・・。歌詞は→http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110501/1304216821
 
★ アルフレードグティエーレス(アコーディオン)、セサル・カストロ(歌)。ロス・コラレーロス・デ・マハグアルです。
http://www.youtube.com/watch?v=dIOPdRPmqcA
★ クリスティアン・カミーロ・ぺーニャ。ちょっと前まではホルヘ・オニャーテのアコーディオン奏者でしたが、今はなにやってるんだろう。ツイッターはしていますけど。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100501/1272711246
★ マヌエル・フリアン・マルティネス。ルイフェル・クエージョ、カー・モラレスと来て今はフェリペ・ペラエスアコーディオン奏者です。
http://www.youtube.com/watch?v=wUQlwSr67PQ
★ フアン・マリオ・デ・ラ・エスプリエージャ。最近シルベストレ・ダンゴンと別れてマルティン・エリアスと組んでいます。マエストロのインタビューに「今やアコーディオン奏者はいい歌手に雇われないと活動していけなくなった。」とありましたが、こうしてみるとほぼすべてのケースで、歌手がアコーディオン奏者を選んでいるという感じです。その逆は“Rector de la Universidad Del Vallenato(バジェナート大学の学長)”イスラエル・ロメーロぐらいじゃないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=5UL7Zokp41g
★ グスタボ・ガルシア。今はオマル・ヘレスのアコーディオン奏者です。ビジャヌエバで毎年9月に行われている“Cuna de Acordeones(アコーディオンの揺りかご)”フェスティバルの映像です*1

★ ホルヘ・オニャーテ。アコーディオンのミゲルとカハのパブロのロペス兄弟の専属歌手時代、アコーディオン奏者と歌手が別れたころの作品です。オニャーテってなにげにカシーケやビノミオより10年弱デビュー早いんですよね。

★ ロセンド・ロメロ。彼の現在のバジェナートに対する批判はネットでまとまった文章として読めます。“El Vallenato si está en riesgo(バジェナートは危機にある)”http://portalvallenato.net/2011/05/05/el-vallenato-si-esta-en-riesgo/#more-1436

★ チコ・ボラ―ニョス。“チコ”ことフランシスコ・ボラーニョスは1902年生まれ(1900年としている資料もあります)、あの“El cantor de Fonseca”*2で“ボラニート”と歌われる人で、初めてパセオ、ソン、メレンゲ、プージャからなる4つの“アイレ”を確立した音楽家とされていますが、写真をみると、右(メロディ)2列、左(ベース)ボタン8つの素朴なアコーディオンを持っています*3。この写真は単行本に掲載されているものですが、撮影時期の説明はなく、ネットを検索しても彼の写真は見つかりません。ボラーニョスは1962年(これまた1960年とする資料があります。)になくなっています。

★ グスタボ・グティエレス。来年の伝説フェスティバルは彼に捧げることが決まっています。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110729/1311942220
★ 最後にフェスティバル最終日翌日朝の地元紙朝刊です。記事の半分以上がバジェナートです。さすがにアコーディオン奏者320人、発表された新曲289曲、ピケリア58試合、ピロネーラス120グループの大イベントだけのことはあります(アンディ・モンタニエスがフンダシオンで交通事故にあったニュースもでています。)。この新聞をペドロ・カストロの家の前・ハイメ・モリーナの家の斜め前のキオスクで買ったという事実について*4、何か信じられない思いがするのは、愚かなファン心理のせいでしょうか。

★ おまけ。今回の取材で私が使ったカメラです。私はこれまでスマホぐらいでしか撮影したことのないカメラ超初心者で(プレス席であちらのプロのカメラマンに絞りがどうだとかズームがどうだとかカメラの性能についていろいろ質問されて、本当に困りました。)、他のカメラと比べてどうかはわかりませんが、わざわざこの旅行のために買った甲斐があったと思っています。・・・あれ?アマゾンにもバジェナートの写真が・・・

*1:「揺りかご」は伝説フェスティバルの次に大きなバジェナートの大会で、こちらも今年で34年目になります。伝説フェスティバルの陰に隠れがちではありますが、宗教行事起源ではない、単なるスターの出演する大規模コンサートでもない音楽祭ということで、他のジャンルのそれと比較した場合、モノ・ヌニェス(ヒネブラ市でバンブーコやパシージョ)が今年で38年、フェスティバル・ナシオナル・デル・ポロ(サンペラヨ市でポロ)が35年、フェスティバル・ナシオナル・デ・ブジェレンゲ(プエルトエスコンディード市でブジェレンゲフェス)が24年、フェスティバル・デ・ラ・クンビア(エルバンコ市、クンビア)が21年、ペトロニオ・アルバレス(カリ市でクルラオなど太平洋岸音楽)が15年ですから、これもなかなかのものです。

*2:http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110506/1304638808

*3:ホーナー社の“Corona”の下位機種“Erica”と同じですね。右2列ならひとつのキーとその半音というチューニングもできますが、アコーディオン博物館の展示をみる限り、19世紀後半に初めてバジェナートに導入されたアコーディオンはこれよりもさらに古い右1列だった可能性が極めて高く(http://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/kbd_V-aco-country/index.html)、右1列なら半音は演奏不可能でしょう。ダイアトニックアコーディオンを近くでならすとすごい音がするので、フランシスコ・エル・オンブレらバジェナート黎明期の伝説の奏者は、演奏技術以前に「みたこともない奇っ怪な楽器で、聞いたこともない怖ろしい音を鳴らす人」という趣旨で驚かれていたんじゃないでしょうか。なお、1950年代、エスカローナ作品の多くはボベアやギジェルモ・ブイトラーゴなどギター伴奏によって演奏されていましたが、これも楽器の制約によるものだったのかも知れません。

*4:http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20120619/1340061708 http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100429/1272502199