Al Pasito Cañandonga〜カニャンドンガのステップで

 新大久保駅近くの雑居ビルの地下1階にあったあの店は、近くのホテル街で働く街娼のたまり場だった。カジェ(通り)で男をつかまえて、ラブホテルで仕事を終えた女たちが集まり、酒を飲み、故郷の音楽を聴き、踊り、体と心を温めてから、ふたたび冷たいカジェに出て行くまでのつかの間の憩いの場所。たまに酒をおごらせようとする女に連れられて来た日本人男性は、ドアを開けた瞬間に怪しげな店の雰囲気に圧倒され、ブリキの人形みたいに店の隅で硬く縮こまったまま女たちに嘲笑されていたが(態度があからさまなので、スペイン語はわからなくてもバカにされていることぐらいは伝わっていただろう)、90年代の初め頃、会社勤めをしながら司法試験の勉強をしていた私には、唯一といってよい安らぎの場所だった。今から20年ほど前、ここに集まる女たちから、男に殴られただの、貯金を持ち逃げされただの、友だちが警察に捕まっただのとアグアルディエンテを報酬に相談を受けていたのが、私の法律家デビューだったのだ。

Al pasito cañandonga bailaras    カニャンドンガのステップで踊りなよ
al pasito cañandonga gozaras    カニャンドンガのステップで楽しもうよ


Esta es una invitación       これはすべてのダンス好きへの
a todos los bailadores       招待状
esta es una invitación       すべてのダンス好きへの
a todos los bailadores       招待状さ
que le gusta el paso nuevo     君も大好き
de cañandonga            この新しいカニャンドンガのステップが

 ブーガ、トゥルア、カルタゴアルメニアペレイラ、マニサーレス・・・「コーヒー枢軸」と呼ばれるこれらの町は、1990年代のコーヒー相場の暴落以来、コロンビアでもっとも失業率が高い地域になった。北のメデジン、南のカリから巨大麻カルテルが発するまばゆいばかりの消費の光は、その影に沈んだような貧しい田舎の町に住む人々に、どれほどきらびやかに写ったことだろう。そんな町から、売られるように地球の裏側に流れてきて、すえた匂いのするホテル街で夜な夜な春をひさいでいた女たち。年齢だけみれば、あの頃の彼女らの中には、現在強制送還が問題になっている高校生の女の子らと変わらないのがゴロゴロいたのに、当時の私が「子どもの権利」なんてちっとも思い浮かばなかったのはなんでだろう。
 ひところは、東京近辺でラテンのコンサートがあるたびに派手なダンスが周囲の空気を別の国のそれにかえてしまうほど存在感のあった彼女らは、2001年頃から減りはじめ、やがて新しく来日する者はいなくなった。ある者はビザを取って水商売から引退し、ある者は入管に捕まって送還され、カニャンドンガも10年以上前に閉店した。今、彼女らの残り香は、東京のどこを探してもかぐことはできない。

ブエノス・ディアス、ニッポン―外国人が生きる「もうひとつのニッポン」

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