クリスマスのない子どもたちへ

Pobres niños por la guerra no tendrán su navidad  戦争で親を失った子どもたち あの子たちにはクリスマスがない
Porque viven la inclemencia de una cruel fatalidad  なぜなら過酷な運命の下に生きるあの子たちは
Ellos no saben nada que el dolor y la maldad   苦しみしか知らないから
Olividados y entre sombras, olividados y entre sombras no tendrán su navidad   社会の陰で忘れられたまま生きる子どもたちには クリスマスがない
Mientras un niño que llore en silencio buscando a su padre que se fue y no volvió   あの子が 家を出たまま戻ることのなかった父を探し求めて 声をあげることなく泣いているのに
No compreden su llanto sagrado que se ha marchado y no volverá   人びとには子どもたちの祝福されるべき叫びが届かず みなそのまま立ち去ってしまう そして戻ってこない
Por la guerra huerfano ha quedado   戦争で親を失い
Y están abandonado, triste realidad   社会からも忘れ去られた子どもたちの これが悲しい現実

 恵まれない境遇から幼い頃より違法薬物にふけり、罪を重ねてきたフアン・ホセ・ガルシア・リオスは、20歳をすぎた頃、リオ・ピエドラ刑務所で服役をすることになります。1964年に出所したフアンは、更生の道をあゆむ過程で、刑務所や施設から社会復帰をしようとする人たちに対して、周囲の継続した支援が足りないことを痛感します。そこで彼は1968年、かつての自分と同じような境遇にある子どもたち、家庭の不和や貧困から、薬物にふけり、暴力に走りながらストリートで暮らす子どもたちのために、社会復帰とリハビリのための施設“Hogares CREA”を設立します。
 サンフアン郊外の小さな掘っ立て小屋から始まった“Hogares CREA”の活動は、やがて人びとの共感を呼び、現在はプエルトリコに85の施設を持ち、アメリカ合衆国ドミニカ共和国、コロンビア、コスタリカなど6ヶ国に支部が作られるまでになりました。

 サルサ楽団“Impacto CREAインパクト・クレア)”は1970年、腕利きミュージシャンが集まって、まだ小さな組織だった“Hogares CREA”の活動をプロモートするために結成されました。楽団のメンバーの何人かはこの施設の出身です。この歌“Los niños sin navidad(クリスマスのない子どもたち)”は1973年の作品。戦争やその他の社会的な混乱で親を失った子どもたちへの思いと、彼らに冷たい社会への静かな抗議を込めたクリスマス・ソングです。歌手はレイ・バレート楽団、ティピカ73などで知られた名歌手アダルベルト・サンティアゴです。