Los sabores del porro


 私はいちおうウィキペディアのアカウントもっていて、日本語版の「クンビア」*1の項目をどうしてやろうかとも思うんだけど、あれは直せないですね。「クンビア」そのものがよくわからないから。
 「クンビア」について、「パランダ」や「ルンバ」みたいなネーミングで、そこが示唆的だと書きましたが*2、要するに「お祭り騒ぎ」という意味でしょう。「パランダ」も、たとえばアンティオキア県メデジン市近辺で聞かれるある種のジャンル、ホアキン・ベドーヤ(Joaquin Bedoya)とか、ロス・シンクエンタ・デ・ホセリート(Los 50 De Joselito)の音楽に、その名がつけられていますが、音楽そのものはバンブーコや(コロンビアの)メレンゲやポロだったりする。「ソン」もキューバ音楽が国外に普及する過程でグアグアンコーやグアラーチャなども一緒くたになって「ルンバ」と呼ばれるようになった。考えてみれば「サルサ」だってそうですよね。「クンビア」もそんな感じではないかと思います。
 そうだとしたら、ウィキペディアの日本語に書かれている、サルサとちがって上中流からは好まれないだの、黒人漁師の音楽だの、ティンバレス、コンガ、ボンゴを使うだの、レゲエに似ているだの、今はメキシコの音楽だの、コロンビア音楽の愛好家が「クンビア」として聞いてきたものを想定すれば、一見噴飯ものにみえる記述でも、ある種の人がそういう音楽を「クンビア」と考えていて、一定数の人が同じに思っているなら、あの記述も「まちがい」とまではいいきれない、という気がしてきます*3
 ただ、ポロとクンビアの区別はできないのでは、と思っている私も、金管楽器がはいって「イエーッパ」っていうと「ポロだー」と思いますよね(笑)。ビデオはマリア・ムラータのサハグン(Sahagún)公演。コルドバ県サハグン市はポロの牙城。ここで「音楽的にはポロもクンビアも同じ」とかいったらサバネーロに「おまえ、おれたちなめてんのか」と怒られそうです。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2

*2:http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110702/1309570937

*3:なお、私はウィキペディアの記述はあえて「『まちがい』とまではいいきれない」と書きましたが、いい加減な内容で、ラテン音楽とそれを支える人に対するリスペクトに欠けていると感じています。コロンビアのもの以外はクンビアじゃないとか、一般のリスナーまでマニアみたいに調べてから聞けっていうつもりはありません。かりそめにも「コロンビア音楽」を他人に紹介するのなら、基本的な文献ぐらい目を通したうえで、もっと敬意をもってのぞんでほしいということです。その意味で、ウィキペディア以上に問題が多いと思ったのは「ラティーナ」など音楽専門誌のコロンビア音楽の記事です。私は、久しぶりに雑誌に記事を書くにあたって、いくつか日本の雑誌に掲載された「コロンビア音楽」に関する記事を読んだのですが、基本的な点について理解のないまま「最近オモシロくなったみんなの知らない国の変わった音楽」という調子で書かれており、20年前の「コロンビア音楽ブーム」〜これも欧米でワールドミュージックとしてもてはやされたのをきかっけに、流行に敏感な日本の音楽関係者が飛びついたのがきっかけでした〜の頃とまったく同じような扱いを受けていることを知って、ウンザリしました。たとえば中南米の先住民の女性は、欧米の基準で見て美人ではないかも知れません。でも、「マージナル(周縁的)なサウンドを追い求めるDJたち」「ヤバイ音の探求に余念がない尖ったクラブヘッズ達」のような姿勢で、物珍しさから彼女らを取りあげて「ブサカワ」と表現するのは失礼でしょう。魅力を感じて人に紹介するのであれば「イナたい」とか「不思議」ですませないで、自分とは違う美的センスのありかを探ったうえで、その美しさを彼らの価値体系にそって評価して欲しいのです。コロンビアは知られざる辺境どころか世界有数の音楽大国で、コロンビア音楽に関するきちんとした文献はたくさんあるのですから。