Cumbia de la Paz / Campo Alegre / Cumbiamba colombiana

 普段は、あまり正確なことを書く自信もないし、調べるのもめんどうくさいし、ブログとはいえいい加減なこと書きたくないという理由で、歌詞をのせておしまいにしていますが、マリア・ムラータのインタビュー記事を書くことになったので、原稿の下書きと自分の知識の整理もかねて、しばらくお勉強風に書いてみます*1
 まずはクンビア(cumbia)です。クンビアはコロンビアのマグダレナ川下流域からカリブ海沿岸地方に伝統的に伝わるリズムと舞曲のことで、コロンビアを代表する音楽といってよいでしょう。
 この舞曲が生まれた場所については諸説ありますが、一般的には“デプレシオン・モンポシーナ(Depresión Momposina)”と総称される大河マグダレナ川の下流域とセサル川などその支流域とされ、現在の市でいうとエル・バンコ、モンポス、チミチャグアなどがその中心になります*2。この地は、同時に先住民のことばで“ポカブイ(Pocabuy)”と呼ばれる地域と重なります。この地名は、現在はコロンビア国外でも広く歌われている有名曲“Cumbia de la Paz”でも(おそらく何のことか理解されないままに)歌われています。

 “ritual sublime de los Pocabuy, en la rueda de la cumbia, se despedian, de los bravos guerreros que ahi morian en la paz de la cumbia..(ポカブイの崇高な典礼で、輪になってクンビアを踊り、クンビアの平和の名のもとに死んだ勇敢な戦士たちに別れを告げる)”


 この音楽が生まれた時期については、あるコロンビア人研究者(か評論家)の記述で、漠然と18世紀とするものがありました。ただ、コロンビアでラジオ放送が始まったのは1929年、初めてクンビア(太鼓と笛の正調クンビアだったそうです。)が録音されたのは1950年とされています(バジェナートはそれより少し早く1943年。)。したがって、発祥の時期といい、場所といい、複製メディアに記録される前の話ですので、確かめようがありません。
 「クンビア」という語の語源については、「宴」を意味するアフリカ・バントゥー系のことば「クンベ」からきているそうですが、起源はともかく、漠然と、「パランダ」「ルンバ」のような意味をもつ単語がこの音楽に名づけられたことは、示唆に富んでいます。というのも、クンビアが、アフロ系の舞曲を指していたことは確かであっても、それが具体的にどのような特徴をもつ音楽ジャンルを指していたのか*3、「ポロ」「ガイタ」などの近縁の他のジャンル(後日取り上げる予定です)とどう区別されていたのか、よくわかっておらず、さらに、現在もともとクンビアと呼ばれていなかった(はずの)音楽についても「クンビア」と呼ばれているからです。
 いずれにせよ、この地に奴隷として連れてこられたアフロ系の人々が*4、重要なコンセプトや出来事など自らのエスニックグループの記憶を、歌とダンスによってメンバー間で共有し、次世代に伝えようとした営みがあり、それにこの地域で育まれていたシヌー文化に属する先住民伝統の楽器やメロディが加わったのがクンビアの始まりです。そうした起源は、このジャンルに宗教的・精神的なテーマや典礼を取りあげたものが多いこと、アフロ系のコミュニティの宗教儀式に起源をもつとされるろうそくをもってすり足で踊るダンス(ただしこれはインディヘナ起源とする説もあるそうです)に、今もみることができます。
 このビデオは“デプレシオン・モンポシーナ”の中心地、マグダレナ県エル・バンコ市で行なわれているフェスティバルの様子です(ちなみにエル・バンコがクンビアの発祥地であると主張してフェスをしているのは地元出身の名音楽家ホセ・バロスの発案であって、なにか学術的な根拠があるというわけではないようです。)。

 このように、もともとそういう名前の単一かつ固有の音楽ジャンルが存在していたのか疑問が残るクンビアですが、現在正調クンビアとされる音楽の伝統は、(1) 楽器は太鼓類がアフリカ起源、笛類が先住民起源、(2) メロディラインは先住民系で、もともとは歌はなし、ソリスタが歌うようになったのは比較的後になってからで、その影響でメロディも徐々にヨーロッパ起源の要素が増大した、(3) ダンスはおそらくアフリカ起源だが先住民起源とされる可能性のある要素もあり、後にヨーロッパ起源のものが加わった(ポジェーラと呼ばれるロングスカートが典型)、と整理できそうです。

 クンビアのリズムは4分の2拍子です。使われる楽器は以下のとおりです。
・ 笛・・・ガイタ(gaita)と呼ばれる縦笛には、穴が5つのガイタ・エンブラ(gaita hembra、先住民のことばでは“kuisi bunzí”)と2つのガイタ・マチョ(gaita macho,先住民のことばでは“ kuisi sigí ”)があります。また、フラウタ・デ・ミージョ(flauta de millo)またはピト・アトラベサオ(pito atravesao)と呼ばれる横笛も使われます。いずれも先住民起源で、この笛が奏でるピーヒャラピーヒャラといったチャルメラ風の独特な美しいメロディラインもクンビアの特徴です*5
・ 太鼓・・・一番小さいのはジャマドール(llamador)またはマチョ(macho)、その倍弱ぐらいの大きさのものがアレグレ(alegre)またはエンブラ(hembra)。タンボーラ(tambora)は他の二つと異なり、両側に革が貼ってあります。クンビアのリズムそのものは4分の2拍子の極めて単純なものですが、太鼓の叩きだす、まるでメロディを奏でているかのようなリズムも、この音楽の魅力の一つです。
・ マラコンなど・・・マラコン(maracón)はマラカスの大きなやつです。先住民起源で、乾燥したカボチャの中に穴を開けて種をいれて作ったそうですが、今は違うでしょうね。グアチェ(guache)は横にして揺する楽器です。
 このビデオが典型的なクンビアの編成です。

 下のビデオは来日するマリア・ムラータですが、すさまじい演奏です。フアン・カルロス“エル・チョンゴ”プエージョのアレグレ*6を中心とした太鼓部隊*7がメチャすごいです。太鼓と歌だけなのにマジかっこよすぎます。

 一部のコロンビアの文献には、クンビアは、ポロ、ガイタ、ブジェレンゲ、バジェナートの四つのリズム(パセオ、ソン、プージャ、メレンゲ)など、多くのコスタの音楽の母体になったという記述がありますが、私はこの説明には疑問を持っています。たとえば、エミルト・デ・リマ*8が、コスタの音楽が複製メディアに記録される前である1942年に発表したコロンビア大衆音楽研究の古典“Folklore Colombiano”では、Cumbiamba(クンビアンバ)、ポロ(Porro)、チチャマヤ(Chicha Maya)、プーヤ(Puya)、マパレー(Mapalé)、メレンゲ(Merengue)、ガイタ(Gaita Indigena)さらに現在太平洋岸の音楽とされているクルラオ(Currulao)が大西洋岸の音楽として紹介されていますが、Cumbia(クンビア)の名前はありません。
 また、クンビアは1950年代半ばに商業音楽化が一気に進み、さらには海外でも広く知られるようになりましたが、そうしたレパートリーには「クンビア」というネーミングにもかかわらず、音楽的にはむしろ「ポロ」とした方が適切なものがかなり多く含まれています。
 複製メディアが発達する以前に、「クンビア」「クンビアンバ」「ポロ・ネグロ」「ポロ・サンビオ」*9「ガイタ」と各地域でさまざまに呼ばれる「クンビア系」音楽があり、演奏者や聴衆がその違いをどう認識していたのかは不明で、現在のジャンルわけには分類者や記録者(特に1950年代以降は演奏者やレコード会社)の主観や思惑が混じっている可能性がある・・・私が現在いえるのはこの程度です。
 なお、上記の記述は伝統音楽ないしこれに由来するクンビアに関するもので、コロンビア以外の国で「クンビア」とされている音楽や、現在流行の「デジタルクンビア」にはあてはまりません。

*1:参考にした資料は、Emirto de Lima“Folklore Colombiano”1942,Javier Ocampo Lopez“Música y Folclor de Colombia”1976, José Portaccio Fontalvo“Colombia y su Música”1995, Cielo Patricia Escobar Zamora“Danza Folclóricas Colombianas”1997, Fundación Cultral Nueva Música“Cantadoras Afrocolombianas de Bullerengue”2008、その他web上の雑紙記事やYouTubeでみることのできるインタビューなどです。

*2:http://wiki.neotropicos.org/index.php?title=Depresi%C3%B3n_Momposina ただし、より沿岸部だという有力な反対説があります。確かにYo me llamo cumbiaで“Yo nací en las bellas playas Caribes de mi país”って歌ってますもんね・・・というのはジョークで、アフロ系女性の研究者Delia Zapataらの説です。

*3:たとえば著名な研究者であるGuillermo Abadía Moralesは、もともと歌が入ったものはクンビアと呼んでいなかったと指摘しています。孫引きですがGuillermo Abadía Morales“La Música Folklórica Colombiana”1973

*4:グラン・コロンビア(エクアドル、コロンビア、パナマベネズエラ)地域の奴隷廃止は、ベネズエラでは1819年に最初の段階的奴隷制廃止(新たに生まれる奴隷の子の自由)、コロンビアではククタにて1821年段階的廃止が宣言された後、大土地所有者や奴隷主の抵抗があり、最終的な奴隷制廃止はコロンビアは1853年、ベネズエラ1854年とされています。

*5:ただ、外部の人からみて、これがクンビア系統のコスタ音楽を「調子外れな、田舎くさいもの」と感じさせる要素になっているのだと思います。

*6:アフロ系の男性。意外なことに彼は15歳まではバジェナートのカハを叩いていて、ガイタやクンビアは演奏したことがなかったそうです。

*7:ちなみにジャマドールのマリア・ホセ・サルガドは有名なロックバンド、アテルシオペラードスにも参加したことがあります。

*8:1890年にキュラソーに生まれ、バランキージャに渡り、同地の音楽教育に功績のあった音楽家/作曲家。

*9:いずれも20世紀初頭にブラスバンドで演奏される前の原初のポロ。