Seguramente


 昨日はフェスをみることができなかったけど、そもそもこんなものが日本で生中継でみれること自体、昔からみたら夢みたいなことだし、くわえて、私がずっと応援しているフェルナンド・ランヘルが惜しくもチャンピオンになり損ねたので、あきらめもつくかと。というのも、バジェナート王になると、10年に一度、過去20年の王様が集まる記念大会以外には出場しないので*1、バジェドゥパルの地元民以外がお気に入りのアコーディオン奏者が伝統的なコンフントで演奏するのをみるのは非常に難しくなるからだ*2。フェルナンド・ランヘルも、お仕事のバジェナートはこれですからね。これはこれで悪くないけど。

 バジェナートのビデオは、美女美男が海岸やプールでいちゃいちゃしている横で、太った歌手(ピジャオ・ロドリゲスもいい歌手だと思うが、最近の歌手の例にもれず、若いのに太りすぎだ)とアコーディオン奏者がニタニタしながらうろうろしているのが多くて、これはこれでけっこう不思議な世界だよなー。

*1:70年代から80年代にかけては同じ人が何度か出てこともあり、中でもアルフレードグティエレスが3度もバジェナート王になった(結果に怒った聴衆が暴動を起こして軍隊が鎮圧したこともある)のはフェスティバルの黒歴史だが、最近はない。なお「黒歴史」と書いたが、バジェナートをポロやクンビアなどのより商業的に成功したコスタの音楽とセットにして売り出そうとしていた当時と、バジェナートがコロンビア全土、さらにはベネズエラエクアドルなどでも広く聴かれ、放っておけばコマーシャリズムの洪水のなかで失われてしまう伝統の守護がテーマになっている現在(アコーディオン王対決で、地味な奏者が人気者に勝つのはたぶんそのせい)では時代が違うので、アルフレードグティエレスに対する表現としては少し厳しすぎるかも知れない。ただ、ロス・コラレーロス・デ・マハグアルのメンバーだった彼の欧米や日本での異常な評価・紹介のされ方が、海外でのバジェナートの理解をいちじるしく歪めている〜その典型は「アコーディオンの入ったクンビア」といったもの〜のはまちがいない。

*2:その意味で、バジェナートは、商業的な成功とは裏腹に、ある種の危機にある。ラテン音楽の衰退の証として、(1)リズムが単調になる、(2)歌詞の内容が平板になる、(3)歌手のルックスが良くなる、があげられるが、バジェナートにも(1)と(2)ははっきりと現れている。ここ10年のあいだに、商業録音でパセオ以外のリズムをきっちり演奏しているのは、おそらくホルヘ・セレドンぐらいしかいないはずだ(ちょうど、サルサが衰退の過程でグアラーチャ(ないし「もどき」)以外のリズムを失っていったように。)。だからこそ、パセオ以外のリズムを演奏させ、ちゃんとピケリアを行い、商業ベースに乗りにくい歌に発表の場を与える〜今年のフェスの最優秀曲は聴覚障がい者について歌ったものだったが、こんな歌はまずコマーシャルベースには乗らない〜フェスティバルの意義は大きい。