Acordate Moralito de aquel día・・・   モラリート、あの日のことをおぼえているか


 左がモラリート、右がエミリアーノ・スレータ。
 モラリートは、“La gota fría”についてはこんなふうに語っています。"Solamente fui protagonista de 'La gota fría' porque de ella no obtuvo ni un peso porque mi compadre Emiliano no es que fuera tacaño sino olvidadizo".(オレはただ『ラ・ゴタ・フリア』の主人公だっただけで、一銭ももらっていない。でもそれはオレのコンパードレのエミリアーノがケチだからじゃなくて、忘れっぽかったからさ。)
 ちなみにこの歌のacordarseの命令形がAcuerdateではなくてAcordateになっているのは二人称がvosだから。ただしその直後の二人称はtúになっています。

Acordate, Moralito, de aquel día que estuviste en Urumita y no quisiste hacer parranda,   モラリート ウルミタでのあの日のことをおぼえているか
Te fuiste de mañanita.   おまえが朝早くパランダから逃げていったあの日のことを
Sería de la misma rabia.   あれはよっぽど腹がたっていたんだろう


En mis notas soy extenso,   アコーディオンを弾いている時のおれは最高さ 
A mi nadie me corrige.   誰も文句なんかつけられない


Para tocar con Lorenzo   ロレンソと演奏するために
Mañana sábado día 'e la Virgen  明日の土曜日は聖マリアの日


Me lleva él o me lo llevo yo   あいつがおれをうちまかすか おれがあいつをうちまかすか
pa’que se acabe la vaina.   決着をつけなきゃならない


Ay, Morales a mi no me lleva porque no me da la gana.   モラレスはおれには勝てないのさ
Porque no me da la gana.    あいつはぜんぜんおれを熱くしない
Moralito a mi no me lleva   モラリートはおれには勝てない
Porque no me da la gana.    あいつはおれを熱くしないのさ


Que cultura que cultura va a tener un indio chumeca como Lorenzo Morales.   無学なチュメカのインディオはロレンソ・モラレスみたいだな*1
Que cultura va a tener,   あいつはまるで無教養な野郎さ
si nació en los cardenales.    サボテンの中で生まれた田舎者め*2


Morales mienta mi mama solamente pa’ofender.    モラレスはおれのおふくろの悪口をいってあざけった
Para que también se ofenda, ahora le miento la de él.   だから今度はあっちをあざけるために おれはあいつのおふくろの悪口をいってやる


Moralito Moralito se creía que él a mí que él a mí me iba a ganar.    モラリートはおれに勝てると思い込んでいた
Y cuando me oyó tocar     だからおれのアコーディオンを聞いたら
le cayó la gota fría.    あいつは冷や汗たらしていやがった
Al cabo él la compartía   結局あいつも負けを認めたのさ
El tiro le salió mal,   あいつの渾身の一撃は失敗したってことさ

 モラリートことロレンソ・モラレスは、1914年6月14日、コロンビア北部のセサル県グアコチェ生まれ。つつましい農家に生まれた少年には音楽の才能があった。幼い頃から地元のバナナ農園で行われるパランダを、卓越したアコーディオンでもりあげた彼は、やがて、ラ・グアヒーラ、セサル、マグダレーナを、町から町へ、アコーディオンの音色にのせてニュースを歌いながら旅をするようになる。


 だが、1938年、すでにちょっとした人気者になっていた彼は、ラ・グアヒーラ県の田舎町ウルミタで行われたピケリア*3で、2歳年上の地元のアコーディオン弾き・エミリアーノ・スレータにうちのめされる。

 エミリアーノの勝利の凱歌が、1993年にカルロス・ビベスが歌い、コロンビアのカリブ海沿岸地方の伝統大衆音楽であるバジェナートを世界的に有名にしたあの“La Gota Fría”である。

 エミリアーノとの対決に敗れたショックで、20年間もの引きこもり生活におちいったモラリートだが(彼が死んだと思ったレアンドロ・ディアスは、「モラリートの死(La muerte de Moralito)」なんて曲まで作っている。)*4、やがて立ち直り、バジェナートを代表する作曲家として、数々の名曲を残す。

 いつしか、エミリアーノとも和解。やがて兄弟仁義を交わすまでになった二人は、“Cuando uno de los dos muriera el otro deja de tocar(どちらからが死んだら、残った者は二度とアコーディオンを弾かない)”、という“el pacto de caballeros (男の誓い)”をかわした。
 2005年10月30日、エミリアーノは93歳でこの世を去った。90を超えても病気ひとつせず、毎日アコーディオンを弾いていたモラリートは、それ以来、この誓いを守り、決してアコーディオンに触れなかった。
 そして、エミリアーノの死から既に5年、数々の名曲と、30人以上の子どもと70人近くの孫を残した96歳の伝説のアコーディオン弾きは、車いすに座りながら、自分をたたえる今年の伝説フェスティバルをながめている。



“Se dicen que al norte de Colombia existe un lugar en donde los nietos no se sientan en las piernas de sus abuelos para escuchar las historias. Sobre las piernas de los viejos, está el acordeón. Que acompañan las leyendas, las anécdotas, las historias de cientos personajes, que magicamente hacen que se fundan la fantasía y la realidad. Un lugar, en donde se pintan golondrinas al vuelo, y se construyen casas en el aire... ”
(コロンビアの北部には、孫がおじいさんの昔話を聞くときに、膝のうえにすわることができない場所があるという。おじいさんの膝のうえには、アコーディオンがあるのだ。そこには伝説が、小話が、魔術を使ったかのようにファンタジーと現実をとけこませてみせた無数の人々の物語がある。そこでは、空を飛ぶツバメが絵を描き空に家が建てられる・・・)

*1:“chumeco”“chumeca”という先住民について、資料で確認できませんでした。ただしラファエル・エスカローナは、生前のインタビューで、この箇所について、エミリアーノは、当時グアコチェに“chumeco”という先住民がいたことから、肌の色が黒いにもかかわらず髪の毛が縮れていなかったモラリートをからかって歌ったのだとしています。いずれにせよここは差別表現ですので、これからこの歌を歌う人はこの部分は変えるべきだと思います。

*2:直訳すると「ぶりんちゅう (武倫柱)の中で生まれた」という意味のようです。

*3:複数の歌手ないし演奏者が即興でメロディや歌を繰り出しながら競い合うこと。カリブの音楽に広く見られるスタイルだが、「ピケリア」は私の知る限りコロンビア独特の呼び名で特にバジェナートのものが有名。

*4:ピケリアの敗北そのものというよりも、その後“La gota fría”が流行ったことに嫌気がさして、音楽活動を断念して山にこもって農民をしていたということのようです。