Retratos en un mar de mentiras

 先日、2010年の第25回グアダラハラ国際映画祭のグランプリ、主演女優賞をはじめ、各地の映画祭で話題になったコロンビア映画、“Retratos en un mar de mentiras(偽りの海のなかの肖像画)”をみる機会がありました。

 ボゴタの貧困地区にあるアドベ(日干しレンガ)にトタン板を葺いただけのバラック(おそらく国有地か私有地の不法占拠)に、酔ってマチェテを振り回す粗暴な祖父と住むマリナ。避難民として逃れてきた彼女は、記憶喪失と失語症をわずらい、いつも白昼夢をみているかのようにぼーっとして、ときどき幻覚をみてわけの分からない振る舞いをすることから、近所の子どもたちからもバカにされている。
 ある豪雨の夜、マリナの住む家が、土砂崩れで流され、祖父が亡くなる。祖父の死をきっかけに、マリナは、やっかい払いされるように、かつてパラミリタルに奪われた故郷【注1】の土地を取り返すため、車で大西洋岸に向かう従兄弟の写真家ハイロの旅に、ついていくことになる。
 町で市民が泥棒を激しく殴打する場面、旅の途中の街道で検問の警官(重装備ですが警官です)がサブマシンガンを振り回す場面、ゲリラと政府軍が小競り合いをする場面などに出くわす度に、マリナの心の中で、パラミリタルに家を焼かれ、祖父と自分を残して家族を皆殺しにされた光景がよみがえり、彼女のトラウマが明らかにされる。
 そしてようやく故郷の村についたところで、マリナのみた死者の幻影からドラマは悲劇的な結末へと展開し始める。ハイロの不注意な言動がきっかけになって、ブジェレンゲの演奏が流れる祝祭のなか、二人はパラミリタル【注2】に拉致される・・・。


 2010年の映画だけあって、今年6月の“la Ley de Víctimas y Restitución de Tierras”【注3】制定につながる最近の避難民の土地返還運動が背景になっています(予告編でも1分20秒のところでパラの男が、土地の返還なんて簡単じゃないだろう、という場面があります。)。では予備知識一切なしでみたらちっともおもしろくないのか、といわれると、そんなこともないような気もします。ただ、それがないと、何を目的に旅に出るのかもわからなければ、祝祭でのハイロのセリフの何が不注意なのか理解できません。だから、ひと通り予習したほうがいい映画であることは確かです。
 コロンビア音楽ファンにはエテルビナ・マルドナードの“¿ Porque me pega ?”【注4】、マルティナ・カマルゴの“Las olas de la mar”ほか、マリア・ムラータの歌がふんだんに流れているのも注目です。村の祝祭のシーンでは、ライブ演奏の場面も収録されています。映画は2010年ですから、彼女の2008年の作品“Los Vestidos de la Cumbia”はこの映画のために作ったわけではありませんが、結果としてこの映画のサントラみたいになったわけです。彼女は、今年7月17日に日比谷公園で行なわれたコロンビア独立記念日コンサートに出演していますが、あらためて思うのは、実に旬な人が来てコンサートしてくれたということです(しかもタダで。)。
 主題歌は“Los Vestidos…”に収録されているマリア・ムラータの“¿A dónde van ?”。実は、彼女にインタビューした際に、この映画の内容をまったく知らないまま「いい歌詞ですね」と質問したのですが、外していなくてほっとしました【注5】。歌詞は→http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110625/1309029867

 クンディナマルカ県、トリマ県からアンティオキア県を北上するアンデス山中の街道は、アップダウンの激しい風光明媚なルートとして国内でも人気があり、スクリーンに映し出されるコロンビアの自然は実に美しく、この映画にロードムービーとしての魅力を与えています。また、前髪を切りそろえたあどけないマリナの、ハイロが行きずりの女性とエッチするのを投石で阻止した翌日のエッヘン顔や、街道沿いで物乞いをする避難民の少年に自分のまとっていたボロをあたえるシーンなどでみせるかわいらしいしぐさ、従兄弟同士でありながら淡い恋心を持ち始めるハイロとマリナの関係なども印象的です。また、故郷の村でマリナのみた死者の幻影が不吉な予兆となって、暗い結末が少しずつその姿を現し始め、ブジェレンゲの激しいリズムが流れる祝祭のなか、ハイロの不注意な言動をきっかけに、彼がひとこと話す度にストーリーが悲劇へ向けてぐいぐいと加速するさまには、サスペンスを覚えました。
 ただ、なんといっても重いのは、常に不安に脅えるマリナの瞳の奥に深く刻まれた、この国の抱える避難民問題の深刻さです。マリナのように、家族が殺され、家を焼かれ、住む土地を追われ、都市に流れてきて、回復不能な心の傷を抱えたまま貧しい暮らしを送るという、コロンビアのマスコミではベタ記事にすらならない事件が、ひとつひとつ積み重なって、人口約4000万人の国で、最悪の時期には年間3万人、今は1万5千人の殺人被害者、350万人とも450万人ともされる国内避難民、こうした数字が出ているのだな、とあらためて思い知らされました【注6】。
 だから、この映画にメッセージがあるとしたら、マリア・ムラータの“¿A dónde van ?”と同じく、「避難民問題の可視化」ということなのだと思います。犠牲者法ができたり、外部の活動家が現地に行ったりして、可視化が進めば、土地返還なり被害救済につながるか、というと、現在はとてもそんなレベルにはなく(そもそも現在も避難民はあらたに生まれ続けています)、都市の住民の無関心はあいかわらず、犠牲者法の公布の後も増えたのは返還運動の活動家の虐殺ばかり、都市や外国の活動家の関与も、現地での緊張を呼び、それがかえってリスクを高める面すらあるといわれています(端的にいうと、その種の団体が現地に視察にいき、帰ったとたんに現地の活動家が血祭りにあげられる等)【注7】。それでも可視化の動きを進めるべきなのか。もしもこの映画になんらかの意思表明があるなら、この問いに対して“Sí” といっているのでしょう。
 現時点で日本公開の予定があるわけではありませんし、コロンビア映画の通例としてたぶん公開されることもないと思いますが(日本で公開されるには映画をみる前に知っておくべき点があまりにも多すぎる気がします。)、万が一公開するなら解説等でぜひ協力したいと思います。なお、この映画のフェイスブックによると、近々DVDになるそうです【注8】。機会があればぜひご覧ください。

【注1】映画では地名は明示されませんが、幼少のころ土地を追われたハイロが家族とともに逃げたのがモンテリアで、目的地がボカ・デ・ラ・セイバの近くらしいので、かなりの確率でコルドバ県。
【注2】「隠れパラ」というか、ああいう連中が普通の格好して村をうろうろしているのがすごくいやです・・・もうパラならちゃんと戦闘服着てよ(もちろん村人はみんなわかっていますが)・・・。ところで、ラテンアメリカ好きな日本人には左派に共感をいだく傾向があるうえ、残虐行為の実績もあるので、軍隊というと悪い印象を持つ人が多いですが、コロンビアの田舎を旅して軍隊をみるとほっとするのも事実です。私も1998年にカリから陸路でブエナベントゥーラに移動した際に、街道で軍がゲリラを拘束してボディチェックをしているところに出くわしたのですが、そのあたりに死体だか負傷者だかがゴロゴロしていて、本当に怖かったです。とにかく地方によっては行政機関がまるでないところもあって、ゲリラやパラなど山賊みたいな連中が、事実上その地域を支配していることもめずらしくありません。慰み者にするために女の子を差しださせたり(http://bit.ly/flA6as 圧倒的な暴力で君臨し、「女の子を差しだすのは雌鶏をもってくるようなもの。この土地では普通のことだ」とうそぶきながら、貧しい家族が差し出す少女を次々に犯して、14歳未満だけに限定しても、24人もの少女に子どもを産ませたパラミリタルの男のニュース)、この映画のように家族を皆殺して家を焼き払って土地を奪ったり・・・どこの国でもそうだと思いますが、コロンビアでも都市と地方の事情はまるで異なります。この映画をみるには、そういう点も予備知識として必要と思います。 
【注3】今年6月10日に公布された「犠牲者と土地返還に関する法律」。10年をかけて、コロンビア内戦のなかで、1985年から現在までゲリラ、パラミリタル、政府軍による犠牲者約400万人への賠償をおこない、1991年から現在まで、土地を追われた約40万家族に200万ヘクタールを返還し、さらに未耕作地400万ヘクタールを分配しようとするもの。国連の潘基文事務総長も招待して公布したサントス政権の目玉政策ですが、事前の先住民共同体への根回し不足、被害者救済に用いられる基準の公平性に批判がされているほか、土地所有形態を正規化することで企業型開発投資を促進する意図があり農村からの追い出し構造は変わらないといういかにも左派的な批判〜いわんとするところは分かりますが、頂点にいるのがアウセやFARCかと企業かは大きな違いでしょ・・・〜がされています。ただ、それ以前に、資金難で、この法律が現時点では実現の見込みのないことを、コロンビア政府も認めています。なお、この運動が具体化するにつれて、土地返還運動の指導者への虐殺事件が相次いでいます。

【注4】http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110729/1311937000
【注5】山口 「このアルバムの中で印象に残った歌詞があります。『ア・ドンデ・バン(どこにいくの)?』という曲です。この歌のテーマについて教えてください。」  MM 「コロンビアには武力紛争によって住む土地を追われた膨大な数の人々 がいます。ボゴタで生活をしていても、先住民の衣装に身を包んだ避難民をしばしば目にします。私は彼らやその子どもたちを目にするたびに、どうして彼らは住む土地を追われ、固有の文化を否定されなければならないのか、彼らはこれからどこに行くのだろうか、と自問しないわけにはいかないのです。私は避難民の問題に深い関心を持っており、『ア・ドンデ・バン?』ではその気持ちを歌っています。」(月刊ラティーナ2011年9月号より)。
 以前書いたとおり、マリア・ムラータは、2005年、この映画の舞台に近いアンティオキア県ネコクリ市に、ブジェレンゲの修行に行っています。アンティオキア県ウラバ地区はAUC(アウセ。コロンビア自警軍連合)の母体になったACCU(コルドバ・ウラバ農民自警軍)を産んだパラの本拠として有名で、ネコクリは長らくナルコパラの超大物、ダニエル・レンドン・エレーラ(http://bit.ly/nJuh0y)の支配下にありました。2009年に彼が逮捕されて麻薬取引容疑でアメリカに引き渡された後も、その後継者AGC(コロンビアガイタン主義自警軍)の支配下にあるとされています。私もインタビューで「怖くありませんでしたか」と聞いたのですが、この映画をみると、彼女もよくあんな場所に音楽修行にいったなあと改めて関心します。なお、インタビュー記事では、字数の関係、主題でもない、微妙な話題であとで変な迷惑が及んでも(どこでどう伝わるか分からないし、彼女はこれからもあちらに行く機会があるでしょう)、といろいろ気になったので、「深刻な問題はありませんでした」とだけ書きましたが、実際はきっぱりとした調子で「到着した夜、窓の外をのぞくと何人もパラをみたけど、すばらしい音楽を勉強するために来たのだから怖くなかった」と答えてくれました。豪傑だ。
【注6】外務省の紹介記事はこちら。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jindo/jindoushien2_unhcr.html
【注7】http://www.corporacionsembrar.org/
【注8】http://es-es.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10150279140025949&id=203545135948