La Diosa Coronada
先月26日になくなったモラリートことロレンソ・モラレスの弔問に訪れたレアンドロ・ディアス*1(http://bit.ly/pv4vDk)。 レアンドロは、モラリートの親友でしたが、モラリートがエミリアーノ・スレータとのピケリアの敗北のショックで引きこもりになった際には*2、死んだと早とちりして「モラリートの死」という曲を作ってしまったこともあります。
歴史的に、バジェナートの担い手は、アコーディオンをかつぎながら、さまざまなニュースやゴシップから恋愛沙汰まであらゆる題材を歌にして放浪する吟遊詩人たち(フグラーレス)でしたが、1928年生まれのレアンドロ・ディアスは、ロレンソ・モラレスなきあと、名が知られた人としては最後のフグラールになってしまいました。
コロンビア北東部大西洋岸の生んだ豊かな音楽的伝統は、こうして時代とともに消滅しつつあります。
・・・これは嘘偽りのない話しだが、突拍子もないことがごく自然に起きるような地域や職業集団の中ではめずらしいことではない。アコーディオンは、コロンビアで生まれた楽器ではないし、コロンビアのどこでも一般的な楽器というわけでもないが、バジェドゥパルのあたりではとても人気がある。おそらくアルバかキュラソーからもたらされたのだろう。第二次世界大戦中、ドイツからの輸入がストップしたが、すでにこの地にあった楽器は、地元の持ち主が注意ぶかく整備したおかげでいきのびることができた。そうした人々のうちのひとりが、レアンドロ・ディアスだった。大工の彼は、天才的な作曲家、アコーディオンの名人であるのみならず、生まれつき目がみえないのに戦争中にアコーディオンを修理することができた唯一の人物だった。こうしたフグラーレス(吟遊詩人たち)は、気の利いた小話や日常のささいな出来事を題材を歌にして、町から町へとわたりあるく人生を送った。彼らが歌う場は、宗教的なお祭りや、異端の集まりだったりしたのだが、なんといってもカーニバルのドンちゃん騒ぎだった。
(Gabriel García Márquez“Vivir para contarla”2002. 翻訳:山口元一)
- 作者: ガブリエル・ガルシア=マルケス,旦敬介
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1949年のある夜のこと。マグダレナ・グランデ県サンディエゴ市*3の素封家フリオ・カストロの自宅で行なわれたパランダに出演した若いフグラール(吟遊詩人)・レアンドロ・ディアスは、カストロ家の娘・ホセフィーナにひと目惚れします。いや、生まれつき目の見えないレアンドロですから「ひとかぎ惚れ」といった方が適切かも知れません。“ Sentí su presencia por el agradable olor a rosas que dejaba por donde pasaba, y desde entonces traté de llamar su atención cantando mis versos"(彼女のことはにおいで分ったんだよ。彼女のいるところは、どこでもいいバラの香りが残っていてね。それからおれはとにかく彼女の気を引こうと思って、彼女に向けて歌を歌っていたのさ。)”
(ラファエル・サラス。1979年のバジェナート王の彼も今年4月11日に亡くなっています。)
Señores voy a contarles みなさんにお話ししましょう
hay nuevo encanto en la sabana サバナ*4にあらわれた新しい魅惑のことを
En adelanto van estos lugares その先を進めば ある場所につく
Ya tienen su diosa coronada もうそこには王冠を戴いた女神がいる
La vida tiene buen adelanto 彼女はなんとも進んだ人なんだ
Y tiene diosa de los encantos そこには魅惑の女神がいる
Y tiene su corona de reina そこには女王の王冠がある
Lo bello aquí está el Magdalena 美はここマグダレナにある
Paso a contar lo siguiente さて次の話に移りましょう
Conozco diosa y rey querido 私は女神と親愛なる王を知っている
Ese nombre de diosa es de gente 女神の名前は人々のもの
Que tenga su grado distinguido あんなに上品な人だったなんて*5
レアンドロは以後も、口実をみつけては、カストロ家をたずねて、アコーディオンを奏でながら愛の調べを歌いつづけました。もちろんお目当てはホセフィーナです。あんな素敵な人といっしょになれたら、どんなに素敵だろう。ぞくぞくするぜ!
しかしながら、ホセフィーナの関心は他の男の子のことばかり。レアンドロはなんとかコーヒーにありつけるのが精いっぱい。広大な牧場を保有する有力者の令嬢と、当時“cosas de peones descalzos(裸足で歩いている人夫風情のもの)” *6とさげすまれていたバジェナートの音楽家のあいだに横たわる階級の差は、あまりにも大きすぎたのです。
そしてある日のこと。感情をこめて歌い、アコーディオンを奏でたレアンドロは、コーヒーの一杯さえももらえませんでした。「あのアコーディオン弾きのこと?私、彼のことほとんど知らないの。」高慢なホセフィーナのことばに打ちのめされたレアンドロは、みえない目に涙をためながら、カストロ家を出ると、トカイモ川のほとりで歌を作りました。
(シルビオ・ブリトーです。)
Que viva el mismo movimiento 彼女の動作はなんと生き生きしているんだ
Y que tenga el mismo pensamiento そして彼女のあの考え
Que viva alegre en la sabana このサバナで彼女はなんと楽しげに生きているんだ
Ya tiene su diosa coronada そこには王冠をいだいた女神がいる
que canta el pobre Leandro Díaz このみじめなレアンドロ・ディアスが
triste por la Serranía セラニーア*7にむかって悲しく歌った女神が
Cuando el rey querido llega 親愛な王が
de tarde a la Serranía 午後にセレニーアにつく頃には
Hay que ponerle gallina rellena 王のためにガジーナ・レジェーナ*8を用意しなければならない
que el rey es fino , ¡ madre mía!". なんてすました王なんだ ああ、かあちゃん、なんてこった
Le pones la mesa bien servida 君はテーブルをきちんと整える
tú sabes que el rey es gente fina 王が上品な人だと知っているから
le pones un gran arroz volado アロス・ボラード*9も用意する
que coma el rey considerado 思いやりのある王が食べるように
Cuando el rey llega de tarde 王が午後に到着すると
que mira el jardín florecido 花が咲き乱れる庭をみて
Cuando la diosa mueve el caderaje 女神が腰を振ると
se pone el rey más engreido 王は最高に自慢げになる
Y llega la mira con anhelo そして待ち焦がれたように女神をみて
y dice “Gracias le doy” al cielo 天にむかって「神よ私は感謝します」と話し始める
Que viva alegre en la sabana このサバナで彼女はなんと楽しげに生きているんだ
Ya tiene su diosa coronada そこには王冠をいだいた女神がいる
que canta el pobre Leandro Díaz このみじめなレアンドロ・ディアスが
triste por la Serranía セラニーアにむかって悲しく歌った女神が
この歌の一節は、同じ頃、トカイモ川のほとりで、待ち続ける愛をテーマに小説の構想を練っていた、マグダレナ県アラカタカ市出身の、レアンドロと同い年の小説家に、重要なインスピレーションをあたえることになりました。
その先を進めば ある場所につく
もうそこには王冠を戴いた女神がいる*10
(Gabriel García Márquez“El amor en los tiempos del cólera”1985. 翻訳:山口元一)
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さて、レアンドロは、その後バジェナートの作曲家として名を上げ、さらに「51年9ヶ月と4日のあいだ、女を待ち続けた男の小説」がきっかけとなって、コロンビア大西洋岸ローカルの音楽家から一躍世界的に有名になりました*11。そして、失意から52年後の2001年、バジェドゥパルでホセフィーナと再会します。ホセフィーナはすでに結婚して4人の子どもと孫がいましたが、高慢ぶりはあいかわらずで、再会の条件として嫁入り道具一式を用意することを要求したといいます。
「おれは気にしていないよ。だっておれは金の卵を産む鶏だったんだぜ。今となっちゃ損したのは彼女のほうさ」・・・こう強がってみたものの、ホセフィーナのもとめにしたがって、新しい服や靴、きれいな首飾りに、バラの香りの香水まで用意したレアンドロは、まだ「コレラの時代の愛」に生きているのかも知れません。
(カルロス・ビベス。アコーディオンはエヒディオ・クアドゥラードです。)
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*1:“A Valledupar le cayó ‘La gota fría’, murió Lorenzo Morales” http://bit.ly/pGdwWQ この見出しももちろん“La gota friía”のもじりですが、やはりモラリートも気の毒ですね。“La Diosa Coronada”のホセフィーナさんも、この歌を相当不快に思っていたそうですが、実話やゴシップを歌にするバジェナートには、この手のエピソードがよくあります。
*2:ピケリアの敗北そのものというよりも、その後“La gota fría”が流行ったことに嫌気がさして、音楽活動を断念して山にこもって農民をしていたということのようです。
*3:後にマグダレナ・グランデという県はマグダレナ県とセサル県に分割され、サンディエゴ市はセサル県に編入されました。
*4:草原地帯。
*5:文頭のQue+接続法には「間接命令」「命令の強調」「願望」などなどありますが、以下は「驚嘆」というニュアンスで訳してみました。
*6:Gabriel García Márquez “Valledupar, la parranda del siglo”
*7:Serranía del Perijá(ペリハ山脈)のことですが、serenataで相手にされなかったことも引っかけているようです。
*8:丸鶏の中に詰め物をして焼く料理。基本的にクリスマスの料理だと思います。
*9:精米する前の米といったニュアンスですが、玄米とは微妙に違うようですが。
*10:木村榮一訳では「これから語る言葉、そこには今、王冠を戴いた女神がいる」となっていますが、原文の引用部分“En adelanto van estos lugares Ya tienen su diosa coronada ”からするとあまり原文に忠実な訳ではないと思います。ちなみにガブリエル・ガルシア・マルケスの日本語は、訳者がコロンビアの地名・風俗にほとんど意を払っていないので〜この一節がバジェナートの歌であることも知らないでしょう〜誤訳・珍訳がとても多いです。日本人がガボに感じる「マジック・リアリズム」は誤訳由来のものがかなりあると思います。
*11:ガルシア・マルケスの小説に取り上げられて、何が変わりましたか、という質問に、レアンドロは茶目っ気たっぷりに「以前はおれにインタビューしたいっていうのは“ラジオ・ガタプリ(バジェドゥパルの地元ラジオ局)”だったけど、ガボの小説のあとはCNNになった」と答えています。