La Juntera

Perdóneme señorita  ああ、セニョリータよ、ゆるしておくれ
si en algo llego yo a ofenderla  もしも俺がなにかで君を傷つけてしまったなら
Pero es usted tan bonita  でも君は美しすぎるんだ
que no me canso de verla  ずっと見ていても見あきない


Pero es usted tan bonita  君はなんて美しいんだ
que no me canso de verla  いつまでも見つめていたい


Yo no me canso de verla  いつまでも見つめていたい
Porque usted es muy bonita  君はなんて美しいんだ
Porque usted es muy bonita  君はなんて美しいんだ
Yo no me canso de verla  いつまでも見つめていたい


Perdóneme señorita  セニョリータよ、ゆるしておくれ
si en algo llego yo a ofenderla  もしも俺がなにかできみを傷つけてしまったなら


Yo no la olvido ni un momento  君のことはひとときも忘れない
yo creo que usted me ha embrujado  君はきっと俺のことを魔法にかけてしまったんだ
Estoy tan enamorado  俺はこんなに恋をしているんだ
que las sueño hasta despierto  起きていても夢をみているみたいだ


Yo no la olvido ni un momento 俺はひとときも君を忘れたことがない
yo creo que usted me ha embrujado  俺は君の魔法にかかってしまったんだ


Ay las sabanas de la Junta  ラ・フンタの草原は
testigo de mi sufrir  俺の苦しみの証人
Ella le puede decir  彼女(ラ・フンタの草原)はいうだろう
lo mucho que usted me gusta  俺がこんなに君を愛しているって


Ella le puede decir 彼女はいうだろう
lo mucho que usted me gusta 俺はこんなに君を愛しているって

 作曲者のマルシアーノ・マルティネスによると、この曲は、彼が子どものころ他の家に奉公に行ったときにひとめぼれした女の子の思い出について歌ったものだそうです。当時マルシアーノは8歳、“Juntera”は7歳。“カシーケ・デ・ラ・フンタ”の仇名とおり、ディオメデス・ディアスもラ・フンタの貧農の出身ですから、同じような経験をしているのでしょう。
 カシーケ&コラーチョ・メンドーサのコンビで1980年に発表されているこの曲は、バジェナートを代表する一曲ですが、スタジオ録音よりもこのライブのほうがずっといい。この演奏はバジェナートの頂点のひとつだと思います。

月刊ラティーナ7月号<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート(その3)

 最後にアンドレス“エル・トゥルコ”ヒルのインタビュー記事分です。渡コロ前はラジオのインタビューで話しているのを聞いて「うわー このコスタ弁のおじさんにインタビューか・・・」と思ったのですが(私はコロンビア人と日常的に接していますが、コスタの人とはあまり話す機会がありません。)、ちょっといるとすぐに慣れますね。1時間ぐらいお話しを伺ったのですが、思う存分バジェナートの話しができて、ほんとうに楽しかったです。固有名詞が多いので、この記事が読者にとってもっとも「わけわからん」ところだと思います。でもですね、はっきり言って日本で紹介される「最近話題のコロンビア人ミュージシャン」より、現地でははるかに有名な人たちですし、字数に制限があるのでいちいち解説書けないんですよ。なお雑誌に載せることができたのは実際のインタビューの3分の1もありませんので、雑誌の販売が一段落したら、このブログで一部載せるかも知れません。
★ ロス・ニーニョス・バジェナートス。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20120108/1326003161
★ ベト・ムルガス。彼の息子はポップス調のバジェナートで人気のグッシー&ベトのベトです。

 なにか年寄りの地味な音楽を紹介しているように思われそうなので、インタビューとは外れますが、ラテン・グラミーにもノミネートされた息子のコンビです。息子はアコーディオン・コンテスト・プロ部門に参加していました。これもバジェナートですがイケメンがカチャーコ弁(ボゴタの人の話し方。歌手はベネズエラ生まれボゴタ育ちです)で歌うだけで、雰囲気がまったくちがうのがおわかりいただけるでしょうか。いずれにせよ女の子にもてていいですね。

★ イスラエル・ロメーロ。言わずと知れたビノミオ・デ・オロのアコーディオン奏者です。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100410/1270864110
★ エヒディオ・クアドゥラード。言わないと知れないかも知れませんがカルロス・ビベスのアコーディオン奏者です。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110506/1304697433
★ ホルヘ・セレドン。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20091107/1257547889
★ レアンドロ・ディアス。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110902/1314974365
★ トーニョ・サラスとレアンドロ・ディアス、曲は「マティルデ・リナ」(“Matilde Lina”)。途中で踊ってる人はエミリアーノ・スレータですね。

★ エル・トゥルコ・ヒル「でもその頃のアコーディオンは今のものとはまるで違った。(1オクターブ)12音のうち7つしか音が出せなかったんだから。」 山口「え? とすると私たちが耳にしているバジェナートのクラシックも当時は今とは違っていたのですか?」 ヒル「まったく違っていたよ。“ゴタ・フリア”なんて、作曲したエミリアーノ自身、あるべきメロディで演奏できなかったんだから」・・・たしかにだいぶ違いますね・・・。歌詞は→http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110501/1304216821
 
★ アルフレードグティエーレス(アコーディオン)、セサル・カストロ(歌)。ロス・コラレーロス・デ・マハグアルです。
http://www.youtube.com/watch?v=dIOPdRPmqcA
★ クリスティアン・カミーロ・ぺーニャ。ちょっと前まではホルヘ・オニャーテのアコーディオン奏者でしたが、今はなにやってるんだろう。ツイッターはしていますけど。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100501/1272711246
★ マヌエル・フリアン・マルティネス。ルイフェル・クエージョ、カー・モラレスと来て今はフェリペ・ペラエスアコーディオン奏者です。
http://www.youtube.com/watch?v=wUQlwSr67PQ
★ フアン・マリオ・デ・ラ・エスプリエージャ。最近シルベストレ・ダンゴンと別れてマルティン・エリアスと組んでいます。マエストロのインタビューに「今やアコーディオン奏者はいい歌手に雇われないと活動していけなくなった。」とありましたが、こうしてみるとほぼすべてのケースで、歌手がアコーディオン奏者を選んでいるという感じです。その逆は“Rector de la Universidad Del Vallenato(バジェナート大学の学長)”イスラエル・ロメーロぐらいじゃないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=5UL7Zokp41g
★ グスタボ・ガルシア。今はオマル・ヘレスのアコーディオン奏者です。ビジャヌエバで毎年9月に行われている“Cuna de Acordeones(アコーディオンの揺りかご)”フェスティバルの映像です*1

★ ホルヘ・オニャーテ。アコーディオンのミゲルとカハのパブロのロペス兄弟の専属歌手時代、アコーディオン奏者と歌手が別れたころの作品です。オニャーテってなにげにカシーケやビノミオより10年弱デビュー早いんですよね。

★ ロセンド・ロメロ。彼の現在のバジェナートに対する批判はネットでまとまった文章として読めます。“El Vallenato si está en riesgo(バジェナートは危機にある)”http://portalvallenato.net/2011/05/05/el-vallenato-si-esta-en-riesgo/#more-1436

★ チコ・ボラ―ニョス。“チコ”ことフランシスコ・ボラーニョスは1902年生まれ(1900年としている資料もあります)、あの“El cantor de Fonseca”*2で“ボラニート”と歌われる人で、初めてパセオ、ソン、メレンゲ、プージャからなる4つの“アイレ”を確立した音楽家とされていますが、写真をみると、右(メロディ)2列、左(ベース)ボタン8つの素朴なアコーディオンを持っています*3。この写真は単行本に掲載されているものですが、撮影時期の説明はなく、ネットを検索しても彼の写真は見つかりません。ボラーニョスは1962年(これまた1960年とする資料があります。)になくなっています。

★ グスタボ・グティエレス。来年の伝説フェスティバルは彼に捧げることが決まっています。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110729/1311942220
★ 最後にフェスティバル最終日翌日朝の地元紙朝刊です。記事の半分以上がバジェナートです。さすがにアコーディオン奏者320人、発表された新曲289曲、ピケリア58試合、ピロネーラス120グループの大イベントだけのことはあります(アンディ・モンタニエスがフンダシオンで交通事故にあったニュースもでています。)。この新聞をペドロ・カストロの家の前・ハイメ・モリーナの家の斜め前のキオスクで買ったという事実について*4、何か信じられない思いがするのは、愚かなファン心理のせいでしょうか。

★ おまけ。今回の取材で私が使ったカメラです。私はこれまでスマホぐらいでしか撮影したことのないカメラ超初心者で(プレス席であちらのプロのカメラマンに絞りがどうだとかズームがどうだとかカメラの性能についていろいろ質問されて、本当に困りました。)、他のカメラと比べてどうかはわかりませんが、わざわざこの旅行のために買った甲斐があったと思っています。・・・あれ?アマゾンにもバジェナートの写真が・・・

*1:「揺りかご」は伝説フェスティバルの次に大きなバジェナートの大会で、こちらも今年で34年目になります。伝説フェスティバルの陰に隠れがちではありますが、宗教行事起源ではない、単なるスターの出演する大規模コンサートでもない音楽祭ということで、他のジャンルのそれと比較した場合、モノ・ヌニェス(ヒネブラ市でバンブーコやパシージョ)が今年で38年、フェスティバル・ナシオナル・デル・ポロ(サンペラヨ市でポロ)が35年、フェスティバル・ナシオナル・デ・ブジェレンゲ(プエルトエスコンディード市でブジェレンゲフェス)が24年、フェスティバル・デ・ラ・クンビア(エルバンコ市、クンビア)が21年、ペトロニオ・アルバレス(カリ市でクルラオなど太平洋岸音楽)が15年ですから、これもなかなかのものです。

*2:http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110506/1304638808

*3:ホーナー社の“Corona”の下位機種“Erica”と同じですね。右2列ならひとつのキーとその半音というチューニングもできますが、アコーディオン博物館の展示をみる限り、19世紀後半に初めてバジェナートに導入されたアコーディオンはこれよりもさらに古い右1列だった可能性が極めて高く(http://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/kbd_V-aco-country/index.html)、右1列なら半音は演奏不可能でしょう。ダイアトニックアコーディオンを近くでならすとすごい音がするので、フランシスコ・エル・オンブレらバジェナート黎明期の伝説の奏者は、演奏技術以前に「みたこともない奇っ怪な楽器で、聞いたこともない怖ろしい音を鳴らす人」という趣旨で驚かれていたんじゃないでしょうか。なお、1950年代、エスカローナ作品の多くはボベアやギジェルモ・ブイトラーゴなどギター伴奏によって演奏されていましたが、これも楽器の制約によるものだったのかも知れません。

*4:http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20120619/1340061708 http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100429/1272502199

月刊ラティーナ7月号<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート(その2)

 続きです。「<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート」の写真解説です。
★ オダシル“エル・ニェコ”モンテネグロ(歌とグアチャラカ)、アデルモ・メモ・グラナードス(カハ)、ウーゴ・カルロス・グラナードス(アコーディオン)。もうバジェナート最強トリオですね。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20091101/1257100187
★ フアン・ホセ・グラナードス。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110502/1304288566
★ サウル・ライェマン&“エル・ニェコ”モンテネグロ。考えて見ればこの曲「ノルフィディア」(“Norfidia”)もカリスト・オチョアの作品です。オチョアについては、ロス・コラレーロス・デ・マハグアルのイメージが強かったので、アルフレードグティエレス、リサンドロ・メサらと同じく「バジェナートとしてどう思うか」といわれると正直「ビミョー」って感じだったのですが、意外にいいバジェナートありますよね。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110528/1306587501
 ついでに今年のアマチュア部門予選で「ノルフィディア」です。   ♪ ああ、ノルフィデアはなんておれのことを恨んでいるんだ おれには理由がわからない おれはおまえを怒らせるようなことはしていない ノルフィディア おまえはおれの命 こうしておまえはひとりの男を死なせようとしているんだ・・・♪

★ セルヒオ・ルイス・ロドリゲス&“エル・ニェコ”モンテネグロ。曲は「エル・ポージョ・バジェナート」(“El pollo vallenato”)。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100211/1265850986
★ マウリシオ・デ・サンティス。私が撮影した映像で1080pで視聴可能です。曲は「ラ・サンギフエラ」(Calixto Ochoa “La Sanguijuela”)。デ・サンティスは2008年のアマチュア王者ですが、プロ部門でファイナリストに残るのは今回が初めです。ファイナリストに残る人は、みな子どもの頃から何年も、人によっては10年、20年とこの大会に挑戦し続けています。歌とグアチャラカはドナルド・マルティネス、1991年フリアン・ロハス、2001年アルバロ・メサがバジェナート王になったときの歌手です。2007年の「王の中の王」の際にはアルバロ・ロペスと組んでファイナル進出、去年もポンチョ・モンサルボと組んでファイナリストに残りました。この人も商業録音はほとんどありませんし、けっこうな年だと思いますが、すばらしい歌手でしょう。カハはレオニダス・アルバレス、2008年、2010年のルイチート・ダサと組んだときのクールなパセオが印象的だったけど(パセオのときは写真も撮らずに見とれていました)、プージャもたまらんですね。

★ 女の子が手にしている楽器がグアチャラカ。これも私の撮影です。1分過ぎからソロが聴けます。ソロのあと観客の歓声に応えてニコッとほほえむところがかわいらしいですね。子ども部門(14歳未満)予選2回戦より。子ども部門の予選はエル・エラード公園。バジェナート好きならミュージックビデオでみたことあるかも知れませんが、米軍機の残骸がおいてある公園です。名前はエラードですがアイスクリームは売ってなかったです。公園内では同時に4ステージ並行で進められます。

★ ピケリア部門決勝。これも私の撮影です。背の高い奥の男性が今年のピケリアの王に輝いたフェリックス・アリーサ、手前が2位になったフリオ・カルデナスです。正直私のバジェナート力ではピケリアの巧拙はいまいちよくわからないのですが(バジェドゥパルでみなさんと話したり歌ったりすると「俺ってバジェナートのことなーんにも分かってないな・・・」と思います。)、なにげにいいの撮ってきたでしょ?

★ メリダ・ガルビス。子ども部門決勝戦。私が撮影したビデオです。自作曲“Conmigo nadie se mete”、幼いころから(といってもまだ12歳ですが)天才少女の誉れが高かった子です(http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20120108/1326003161 このエントリーの下のビデオが彼女が9歳の時の演奏です。)。子ども部門決勝戦は、もともとは29日夜にコンパイ・チプーコ舞台で行われる予定だったのですが、採点が長引いて子どもが演奏するには遅い時間になってしまったので、30日のフランシスコ・エル・オンブレ舞台に変更になりました。お子ちゃまたちはスタジアムでの演奏を楽しみにしていたんじゃないかと思いますが、おかげでこちらは至近でみることができまし(スタジアムのプレス席はアリーナ席ですが、広場のプレス席ほどステージに近くありません。)。

★ 「エル・レイ・デ・フォルクロール」(“El rey de folclor”) リズムはメレンゲですね。

 ヘルマン・ビジャの楽団のアコーディオン奏者は、ベト・ハマイカでした。ステージが終わったところで声をかけたところ「え?僕の写真なんてほしいの?」というので「だってカチャーコ初のバジェナート王じゃないですか*1」と答えたところ、「えー、日本の人もそんなこと知ってるの?」といいながらポーズを取ってくれました。みなさん、ベト・ハマイカもルイチート・ダサ*2も日本人はバジェナート好きだと思い込んでしまってますので、ちゃんと聴きましょうねー。

月刊ラティーナ7月号<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート(その1)

 2012年4月26日の朝、ボゴタ発の飛行機がアルフォンソ・ロペス空港に降り立つと、これまでこの季節が来る度に何度も口ずさんできた曲がラジオから流れてきた。筆者にとっては11年ぶり8回目のコスタ(コロンビア大西洋岸)の地である。


フェスティバルが始まった みんなが僕のことを誘いに来た
僕といっしょに勉強していた 田舎の仲間たちも帰ってしまった
みんなが帰った昨日の午後 僕はふさぎ込んでいた 誰にも気持ちを話したくなかった
僕だって死ぬほど帰りたいんだ でもこの首都にいなければならないのは 僕のさだめなんだ
部屋に閉じこもったまま 僕は悲しい気持ちを あの土地にいることのできない空しい心を 詩にしたよ
気の利いた小話とすてきな物語 それがあの土地の習慣
おじいちゃんたちのために書いた 思い出を綴った詩
いつもいっしょだった恋人や友だちたち
僕はここにいるけれど 僕の魂はいつもあの土地にある
(Rafael Manjarréz“Ausencia sentimental”。1986年カンシオン・イネディタ部門優勝作)


 過去のエントリーで多くの写真を載せたのでおわかりと思いますが、私は4月25日から5月4日までコロンビアを訪問し、第45回バジェナート伝説フェスティバルを取材してきました。もっともこのブログは1日30ぐらいのアクセスしかなく、私と親しい人以外にはほとんど読まれていませんので、多くの読者は写真などみなくても知っているのでしょうね。
 発売中の月刊ラティーナ7月号に、私の書いた伝説フェスティバルのレポートと、アンドレス“エル・トゥルコ”ヒルのインタビューが掲載されています。コロンビアを代表するフォルクロールを日本の雑誌メディアで紹介する機会を与えられたことについては、この国の音楽をこよなく愛するファンとして本当にうれしく思っています。
 先月60周年を迎えた月刊ラティーナとは1988年以来たまーにCDレビューを書いたり、インタビュー記事を書いたり、「ブエノス・ディアス、ニッポン」を連載/単行本化させていただいたり、太くなったり細くなったりしつつ長いおつきあいですが、こういう音楽を取りあげてくれる雑誌は本当に貴重です。
http://latina.blog78.fc2.com/blog-entry-674.html
 ただしバジェナートは、コロンビアにおけるプレゼンスとは対照的に、日本ではあまり知られていない音楽です*1。そこで雑誌をお買い上げいただいた方にどんな音楽かを知っていただくために、記事で取りあげた曲や音楽家について映像やこれまで書いたブログのエントリーを紹介することにします。ぜひ記事とあわせてお聞きください。


 まずは、「<バジェナート伝説フェスティバル>現地レポート」の本文です。
★ ラファエル・マンハレス「アウセンシア・センティメンタル」(Rafael Manjarréz “Ausencia sentimental”)  ♪“El que nunca ha estado ausente no ha sufrio guayabo(故郷を離れたことのないヤツにはグアジャボ*2は分からない)”・・・私にとって「アウセンシア・・・」は多くのバジェナートの曲のうちのひとつに過ぎなかったんですが、今度の旅で忘れられない歌になりました。歌はシルビオブリトー、映像が歌詞とシンクロしていて泣きたくなるようなビデオです。

★ ラファエル・エスカローナ(Rafael Escalona)「エル・テスタメント」(“El testamento”)「ラ・カサ・エン・エル・アイレ」(“La casa en el aire”)
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100429/1272502199
★ ラファエル・エスカローナ「エル・アルコ・イリス」(Rafael Escalona “El arco iris”)
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20100417/1271513591
★ ルイス・エンリケ・マルティネス(Luis Enrique Martínez)
http://www.youtube.com/watch?v=_V6HHiXfLTE
★ エミリアーノ・スレータ(Emiliano Zuleta Baquero)
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20091115/1258252788
★ ファンチョ・ポロ・バレンシア(Juancho Polo Valencia)
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20091114/1258178285
★ ピロネーロス(男性)とピロネーラス(女性)。 “ピロン”とはなんですかって人は雑誌買ってくださいね〜。

★ 「障がい者問題に対する啓発」
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110503/1304382693
★ 「エル・ポージョ・バジェナート」(Luis Enrique Martínez “El Pollo Vallenato” )
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20110504/1304463556
 こちらは今年のフェスティバルのプロ部門予選1回戦。私が撮影した映像で、「チャンネルの品質」ボタンを選択して1080pで視聴可能です。アコーディオンはエイマル・マルティネス、カジート・ダンゴンの相棒ですね。歌とグアチャラカはフェルナンド・オルティス、カハはアルベルト・カマチョ。アイレはパセオ。ちなみに、フェスティバル2日目に予選会場をうろうろしていたら「日本からプレスがきているぞ」ということで急きょカルタヘナのテレビの取材を受けました。「何かカメラの前で歌ってよ」といわれたので、2010年のバジェナート王・ルイチート・ダサもみている前でこの曲と「イグアル・ケ・アケージャ・ノーチェ」(“Igual que aquella noche”「あの晩と同じように」)歌ったらバカうけでした。

★ 「エル・アフリカーノ」(Calixto Ochoa “El Africano”)。コロンビア国外だとウィルフリード・バルガスのメレンゲドミニカ共和国の)のほうが有名かも知れません。
http://www.youtube.com/watch?v=i7cq4Cteu2s
★ 「ロス・サバナ―レス」(Calixto Ochoa “Los Sabanales) 。フェスティバルには、バジェナート以外の有名人も来ますが〜今年はチョックキブタウン、ウィシン&ヤンデル、Jバルビン、フアネス。みんなよかったですよ〜この曲はフアネスが歌っていました。

★ 「アンパリート」(Calixto Ochoa “Amaparito”)/パセオ。今年のフェスティバルのプロ部門予選1回戦。私が撮影した映像です。アコーディオンはここ数年注目されている若手奏者のハビエル・マタ、歌とグアチャラカはオダシル“エル・ニェコ”モンテネグロ、カハはオメル・カルデロン

★ ソン。今年のフェスティバル、フェルナンド・ランヘルのリハーサルです。曲は「ラ・ビーダ・イ・ラ・ムエルテ」(Calixto Ochoa“La vida y la muerte”)。予選会場では他人の本番中もかまわずいたるところで参加者がガンガン演奏しています。私はランヘルの予選はみていないのですが、こんなの間近で聞いたら卒倒するな。

★ メレンゲ。今年のフェスティバルの子ども部門です。曲は「ロシータ」(Luis Enrique Martínez “Rosita”)です。

★ プージャ。今年のフェスティバルのプロ部門予選2回戦。私が撮影したものです。アコーディオンアンドレス“エル・ネーノ”ベレーニョ、歌は普段も彼とコンビを組む元ロス・ディアブリートスのアレックス・マンガ。このフェスにしてはなにげに人気歌手がでています。曲は「ラ・ビエハ・ガブリエラ」(Juan Muños “La Vieja Gabriela”)、フアン・ムニョスさんに遊ばれたガブリエラさんがムニョスさんを殺してやるといってる歌です。なんか今年のフェスで聴くプージャは痴情のもつれ系の歌が多かった気がします。ウィルベル・メンドーサのカハがすごい。

★ カリスト・オチョア「ラ・サンギフエラ(ヒル女)」(Calixto Ochoa “La Sanguijela”)今年のフェスティバルの子ども部門です。アイレはプージャ。  ♪  俺がフラカといっしょにブラブラしていたら 遠くからゴルダが「このヒル女め」って叫びながらやってきた 俺が二人のあいだに割ってはいると フラカが怒ってゴルダにいった 「あんたにもう一度いってやるよ あんたがあたしの持っていないものを持っているのかいってみな」 ♪  子どもがこんな歌うたっちゃだめじゃないの・・・

★ アレホ・ドゥラン「ペダソ・デ・アコルデオン」(Alejo Durán “Pedazo de acordeón”)。アイレはプージャ。
http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/20101205/1291496525
★ プロ部門決勝戦。1分過ぎからルーカス・ダンゴンの演奏が始まります。ファイナリスト5人のうち3人は予選でじっくり聴いたのですが、ダンゴンが演奏はじめてすぐにマウリシオ・デ・サンティスの王者は絶対ない、ウィルベル・メンドーサもほぼない、ハビエル・マタもたぶんない、とわかるほど良かったです。彼についてはチューロ・ディアスのアコーディオン奏者だったな、シルベストレの従兄弟らしいというぐらいの認識で、28日深夜にバンド形式の演奏をみたにも関わらずノーマークだったんですが、これほどのアコーディオン奏者を見逃していたとは・・・。ビデオでわからない部分も会場だとよくわかりますね。



★ 主催者(バジェナート伝説フェスティバル財団)には、締め切りすぎて取材申込みをしたにもかかわらず快く受けていただいたり、取材許可手続の長い長い待ち時間の間にご飯をおごってもらったり(取材許可が出ると予選はステージすぐのスペースでみることができますし、夜のコンサートも無料になるので、データ登録をしたり顔写真とバーコード入りの取材許可証を作成したりで、手続には半日以上かかります。)、自宅で食事に招かれたり、お食事会に招かれたり(これは私だけじゃなくてメディア向けのランチです。ほとんどがコロンビア国内メディアですが、ベネズエラエクアドルからも取材が来ていたようです。)、いろいろお世話になりました。・・・要はご飯をたくさんおごってもらったということです。
 主催者関係者の親族の方に、バジェドゥパル在住の高名な詩人で、バジェナートに関する評論も多く発表されているホセ・アトゥエスタ・ミンディオラ氏*3(新聞記事の写真で“como el”という文字の下にいる男性。もう1人の男性はラファエル・エスカローナです。)がいました。アトゥエスタ氏から詩集“Sonetos vallenatos 「バジェナートのソネット(14行詩)」”“La Décima es como el río「川のようなデシマ(12行詩)」”“Metáforas de los árboles「木々の隠喩」”をいただきました。
 すてきな詩なので、今度機会があれば翻訳してみたいと思います。

*1:これまで活字になった中できちんとした内容のものとしては、いずれも限定的な記述ですが、石橋純「概説:コロンビア音楽」月刊ラティーナ1990年11月号・12月号、「黄金コンビ・ビノミオ・デ・オロ」同1991年5月号、アルベルト・バスケス「カルロス・ビベス、新たなバジェナート伝説」同94年4月号、丸山由紀「バジェナートの伝統と新しい息吹」同2007年5月号(私も小史とディスクガイドを書いています)、石橋純「熱帯の祭りと宴・カリブ海音楽紀行」・P190・つげ書房新社・2002年があげられます。

*2:コスタ弁で「寂しい気持ち」「郷愁」「温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁」、ブラジルでいうところの“サウダージ”。

*3:http://portalvallenato.net/category/jose-atuesta-mindiola/